2019年度 東洋史部会発表要旨 
 

1、対日協力者の政治構想

東洋文庫 関  智 英

1990年代以降、日中戦争時期の占領地政権や協力者に関する研究内容は深化した。ただ先行研究では協力者の主体性に着目することは稀であった。しかし実際には占領地でも中国の将来像についてかなり積極的に語られていた。また協力者の中には戦後も活動を継続した者がいたのである。彼らが自らの立場をいかに説明したのか、それが中国史の文脈にいかに位置づけられるのか、またそうした構想が戦後どのように連続していったのかという点の解明は依然として課題なのである。当然こうした視点から協力者と日本との関係を捉えなおすことも必要である。そこで本報告では、占領地政権及び協力者の政治思想や構想、すなわち日本軍の占領という制限下にありながら、彼らがどのような中国の将来構想を持っていたのかについて、いくつかの事例から考察する。これにより従来ほとんど注目されてこなかった占領地政権の中国の政権としての側面に光を当てることを試みる。

 

2、195070年代の中国の綿製品輸出について

―日本紡績協会の調査から見えるもの―

島根大学 富澤 芳亜

 195070年代の「計画経済期」の中国経済は、資本主義諸国との関係を断った「閉じたシステム」としてイメージされてきた。しかし中華人民共和国建国時に最大の近代工業部門であった紡織工業では、1950年代から資本主義諸国向けも含めた積極的な製品輸出によって、中国は1960年代半ばには、日本に代わって世界最大の綿布輸出国となっていた。その後、中国の製造業は、1970年代末からの改革開放政策を契機として、輸出に主導されて爆発的な成長を遂げることになる。こうした成長の前提としても、195070年代の「計画経済期」の各産業の実態解明は重要な課題である。しかし1981年から『中国統計年鑑』の出版が開始されたように、この時期の統計や資料の公開は不十分であり実態の解明は進んでいない。本報告では、日本紡績協会による調査、統計類などの中国側公刊資料、上海市檔案館所蔵の一次史料を使用して実態解明を試みる。


3、「硫黄の道」研究をめぐる諸問題 

神戸女子大学 山内 晋次

報告者はかつて、10世紀末~11世紀初頭の日宋貿易の開始とともに日本産の硫黄が中国に輸出されるようになり、宋代の中国ではその硫黄が火薬原料として使用されたことを指摘した。また、日宋貿易と同時期の10世紀末~13世紀頃のアジアを見渡し、朝鮮半島・東南アジア・西アジアなどの各地からも、海上貿易を通じて硫黄が中国に流れ込んでいたことを論じた。そして、このような汎アジア的に広がる硫黄流通ルートを「硫黄の道」と呼ぶことを提唱した。さらにその後、研究対象とする時期を14世紀~16世紀頃にまで拡大し、この「硫黄の道」が歴史的に変化していく状況の検討を進めた結果、14世紀頃をおおきな転換点として、「硫黄の道」の構造がいちじるしく変化していくという見通しを得た。今回の報告では、以上のような汎アジア的な「硫黄の道」研究を進めていくなかで気づいた個別的論点のうちのいくつかを紹介し、それらへのご意見をいただければと思う。


4、領土譲与と国境の誕生―タイとマレーシアとの国境に着目して―

天理大学 ピヤダー・ションラオーン

国と国との国境がどのようにできたのか、どのような歴史的過程を経て引かれたのか。本報告ではタイとマレーシアとの国境の事例をあげて19世紀の植民地時代に遡りながらそれを検討する。マレー半島に位置するタイ最南端とマレーシア最北端にある国境地帯には金、錫、森林が豊富であり一九世紀後半に活発な鉱山開発が行われた。しかし、山脈と森林に囲まれて入りにくく、かつ昔から国境線があいまいな地域でもあった。1870年代イギリスがマレー半島内陸部に勢力を及ぼして以来、英国のマレー保護領とタイ(当時シャム)のマレー半島領土との国境問題が徐々に表面化し、結局タイは1909年に4つのマレー半島領土をイギリスに譲った。西洋大国への領土譲与に関してタイが不利な立場にあって領土を「失った」とよくタイで言われるが、実際はそうなのか、領土譲与をめぐる問題をタイとイギリスとの外交文書などから探って考察する。


5、1819世紀ビルマにおける海上貿易

岡山大学 渡邊 佳成

 18世紀半ば~19世紀前半のビルマ海岸部などのベンガル湾北部海域は、インドを拠点とするイギリスやフランスの海上勢力、シャム湾海域からの中国系商人などの参入によって、経済的にも政治的にも大きく変貌した。

 本報告では、イギリスとコンバウン朝ビルマとの間の交渉記録などを渉猟することによって、英仏の海上勢力や華僑などの海上活動の詳細を明らかにし、経済面では、造船資材としてのチーク材、中国向けの燕窩やフカヒレなどの海産物などの新たな商品需要にともなう貿易構造の変化が起こったこと、政治面では、英仏間の海上覇権をめぐる抗争およびビルマ=タイの政治的対立にともなってベンガル湾が「政治の海」と化していったことを明らかにしていく。また、その過程で、従来大きな力を持っていた様々な出自をもつインド系の商人たちや在地の商業勢力がその変化にどのように対応していったのかを探ってみたい。